ダームストラング専門学校は、ホグワーツ魔法魔術学校 や ボーバトン魔法アカデミー と並ぶ、ヨーロッパの三大魔法学校の一つです。しかし、その評判は他の二校とは大きく異なり、特に闇の魔術 を積極的に教えることで悪名を馳せています。学校の正確な所在地は厳重に秘匿されており、訪問者は校内の特定の場所の記憶を消される魔法をかけられると言われています。 在校生であったビクトール・クラム の言及によれば、ダームストラングの敷地は広大で、冬は日照時間が極端に短く、湖や山々に囲まれていることから、スカンジナビア半島やロシア北西部などの高緯度地域に位置すると推測されます。 学校の歴史上、最も悪名高い魔法使いの一人であるゲラート・グリンデルバルド を輩出しました。彼は在学中に「常軌を逸した邪悪な実験」と学友への襲撃を繰り返したため、退学処分となりました。退学前に、彼は校内の壁に自身のシンボルマークを刻みましたが、これは後に死の秘宝 のシンボルであることが判明します。この出来事は、学校の暗い評判をさらに強固なものにしました。 ダームストラングは純血主義的な思想が強く、マグル生まれ の生徒の入学を一切認めていません。
ダームストラングが物語の中心に登場するのは、主に『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』の三校対抗試合 の場面です。校長イゴール・カルカロフ に引率された代表団は、骸骨のような不気味な外観の巨大な船に乗ってホグワーツ の湖の底から現れ、他校に強い印象を与えました。 ダームストラング代表の選手には、世界的に有名なクィディッチ 選手のビクトール・クラム が選ばれました。元死喰い人 であるカルカロフは、試合の審判を務めましたが、ヴォルデモート卿 の復活を目の当たりにすると恐怖から逃亡しました。 『ハリー・ポッターと死の秘宝』では、ビル・ウィーズリー と フラー・デラクール の結婚式に出席したクラムが、ゼノフィリウス・ラブグッド の首飾りを見て激怒します。彼にとってそのシンボルは、ダームストラングの壁に刻まれた「悪の魔法使いグリンデルバルドの印」以外の何物でもなかったのです。この出来事は、ハリーが死の秘宝 の伝説を解明する上で重要な手がかりとなりました。
作中ではダームストラング内部の様子はほとんど描かれていませんが、以下の関連場所が知られています。
「ダームストラング (Durmstrang)」という名前は、18世紀後半のドイツの文学運動である「シュトゥルム・ウント・ドラング (Sturm und Drang)」のもじりであると考えられています。この運動は「嵐と衝動」を意味し、激しい感情の表現を特徴としていました。これは、決闘や力強い魔法を重視し、闇の魔術 に傾倒するダームストラングの校風を象徴していると言えます。