アーマンド・ディペット

アーマンド・ディペットは、アルバス・ダンブルドアが校長に就任する前のホグワーツ魔法魔術学校の校長でした。彼はトム・マールヴォロ・リドル (後のヴォルデモート卿) の在学中に校長を務めており、1943年に初めて「秘密の部屋」が開かれた際の対応において重要な役割を果たしました。しかし、彼はリドルの巧みな策略に欺かれ、秘密の部屋を開いた犯人はルビウス・ハグリッドであると信じ込み、彼を退学させるという誤った判断を下しました。ディペットの肖像画は、彼の死後もホグワーツ校長室に飾られています。

ディペットの校長在任期間の大半は不明ですが、物語の中で最も重要な出来事は、1942年から1943年にかけての学年度に起こりました。この年、「秘密の部屋」が50年ぶりに開かれ、マートル・エリザベス・ウォレンバジリスクによって殺害されました。 学校内で続く襲撃事件に対し、魔法省はホグワーツの閉鎖を検討し始めます。ディペットは学校を守るため、犯人を捕らえなければならないという強いプレッシャーにさらされていました。この状況を利用したのが、監督生であったトム・マールヴォロ・リドルです。リドルは、ルビウス・ハグリッドが飼っていたアクロマンチュラアラゴグが犯人であるとディペットに告げ口しました。 ディペットは、模範生であるリドルの言葉を完全に信じ込み、ハグリッドを退学処分にしました。さらに彼は、事件を「解決」した功績を称え、リドルに「学校への特殊功労賞」を授与しました。彼は最後までリドルが真犯人であることに気づきませんでした。 また、トム・リドルホグワーツを卒業した後、闇の魔術に対する防衛術の教授職を求めてきた際、ディペットは「まだ若すぎる」という理由で彼の申請を却下し、数年後に再応募するよう勧めました。

リータ・スキーターが著した『アルバス・ダンブルドア、その生涯と嘘』によれば、ディペットの晩年は指導力が衰え始めていたとされています。当時、変身術の教授であったアルバス・ダンブルドアが、すでに大きな影響力を持つようになっていました。 ディペットは校長職を務めたまま亡くなり、その後任としてダンブルドアが校長に就任しました。(ポッターモア)

死後、アーマンド・ディペットの魔法肖像画は、歴代校長の肖像画と共にホグワーツ校長室に掛けられています。彼の肖像画は、後任の校長たちに助言を与える役割を担っていますが、ハリー・ポッター校長室を訪れた際には、しばしば居眠りをしている姿が目撃されています。

トム・リドルの記憶の中で登場した際、ディペットは「虚弱で年老いた」魔法使いとして描かれています。彼は白髪で、髪は薄くなっていました。 性格的には、生徒や学校のことを気にかける善良な人物であったように見えますが、判断力に欠け、人を信じやすい一面がありました。彼はトム・リドルの完璧な生徒という仮面を全く疑わず、その結果、ホグワーツの歴史における最大の過ちの一つを犯してしまいました。学校閉鎖の危機に際しては強い責任感を示しましたが、そのプレッシャーが彼の判断を鈍らせた可能性もあります。

ホグワーツの校長という高い地位に長年就いていたことから、アーマンド・ディペットが非常に有能で強力な魔法使いであったことは間違いありません。しかし、作中で彼が特定の魔法呪文を使用した描写はなく、その具体的な能力や得意分野については不明です。彼のに関する情報もありません。

  • 校長室肖像画 (Portrait in the Headmaster's Office): 彼の死後、その意識と記憶が込められた肖像画校長室に飾られています。歴代校長の肖像画と同様に、現職の校長と対話し、助言を与えることができます。
  • Armando (アーマンド): 「兵士」や「軍人」を意味するゲルマン語由来の名前「Herman」のスペイン語・ポルトガル語形です。しかし、彼の騙されやすい性格とは対照的であり、皮肉な命名かもしれません。
  • Dippet (ディペット): 英国の口語で「少し愚かな」「間抜けな」を意味する “dippy” という言葉を連想させます。これは、彼がトム・リドルに容易に騙されたことを示唆している可能性があります。
  • 映画『ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密』では、アーマンド・ディペットが1930年代のホグワーツ校長として登場します。(映画設定)
  • Pottermore(現在のWizarding World)のサイトでは、彼の校長在任期間やその他の詳細な情報が補完されています。(ポッターモア)